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公开日
伊藤淳史 文化財総合研究センター助教らは、本学吉田南構内において、弥生時代前期後葉(約2300年~2400年前ごろ)の水田遺構、関連する水路、当時の地形などを、非常に良好な状態で検出しました(遺跡名:吉田二本松町遺跡)。
研究者からのコメント
伊藤助教
弥生前期の水田は、同じ京都大学の北部构内、北白川追分町遗跡で见つかっていますが、京都府下ではその2例のみにとどまります。今回の事例は、弥生前期末ごろのごく一时期と想定される洪水砂层に覆われたもので、田面や周辺地形の遗存状况が当时のままとみられるきわめて良好な状态をとどめている点、资料価値の高いものといえます。弥生时代前期という、列岛における水稲农耕导入期の水田造営技术や知识を知る上で重要な情报を提供する、意义深い発见と考えています。
概要
本学国际人材総合教育栋建设に先立ち、予定地约1500尘 2 の発掘调査を実施したところ、弥生时代前期后叶(约2300年~2400年前ごろ)の水田遗构、関连する水路、当时の地形などを、非常に良好な状态で検出しました。
今回の主要成果である弥生时代前期水田は、小区画水田と呼ばれる、畔で小さな短册状に区画したものです。1994年に南侧の本学人间?环境学研究科栋建设に先立つ调査で见つかっているものの连続部分で、今回はその北縁部と、水田に流入する水路状遗构が新たに见つかりました。これにより东侧をのぞく水田范囲が确定するとともに、水利系统の様相を知ることができました。
今回调査地の全景と水田遗构(东から)
详しい研究内容について
掲载情报
- 京都新聞(10月18日 31面)、産経新聞(10月21日 24面)および読売新聞(10月18日 33面)に掲載されました。