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京都大学広报誌
京都大学広报誌『红萠』

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まなび游山

2020年秋号

まなび游山

京都大学の景観を作り出す树木
本部?吉田南构内编

協力 杉山淳司(大学院農学研究科 教授)
参考资料:『京都大学キャンパスマスタープラン2018』

京都大学の樹木といえば、時計台を背に枝を拡げるクスノキや、北部構内の入り口から続くイチョウ並木などが象徴的に取り上げられることが多い。でも、樹木に注目してキャンパスを歩いてみると、木々の姿や形の多様さに驚く。本部?吉田南構内でざっと目に入るだけでも、樹種はおよそ100 種。記念樹もあれば、風に乗って運ばれた種が根付いたものも。樹木が語る京都大学の歴史に耳を澄ませてみよう。

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Metasequoia Kusunoki Sekihi Sekihi-2 Katsura

Ⓐ 京大講師が発見した新属〈メタセコイア〉

秋のメタセコイア
紅葉時の赤茶色の葉色から、アケボノスギ(英名:Dawn Redwood)とも呼ばれる

法経済学部本馆の东侧の壁に沿って、9本のメタセコイアが列をなす。干は空に向かって真っ直ぐと伸び、叶色は四季折々に変化する。各地の公园や道路の并木で见られる身近な树木だが、一时は絶灭の危机にあった。

京都帝国大学の讲师だった叁木茂博士は、ヌマスギやセコイアとされていた植物の化石の中にどちらの特徴も持たない植物があることに着目。ヌマスギのような互生叶序でもなく、セコイアのように螺旋状の球果も持たず、変异にしては大きすぎる。别种の植物だと考え、保存状态の良い化石を各地で探した。决め手となったのは、1941年に岐阜県土岐市で発见した小枝の化石。対生叶序であるとはっきりと分かるこの化石を「メタセコイア属」と命名した。

1946年には中国湖北省の山村でメタセコイア属と见られる针叶树が见つかり、叁木博士の论文をもとに同定。100万年前に絶灭したと考えられていた植物の発见は大きなニュースになった。种子はアメリカで育成され、1950年には叁木博士の结成したメタセコイア保存会のもとに100本の苗木が到着し、日本各地に颁布された。

小枝の化石
約1,000万年前のものと推定される。同じ高さから向き合うように2枚の葉が出る「対生葉序」であることが明確に分かる (所蔵および写真提供?大阪市立自然史博物館)


クスノキは时计台前のみにあらず

本部构内には时计台前以外にもいくつものクスノキが育っている。ちなみに、时计台前のカフェ?レストラン「カンフォーラ(颁补尘辫丑辞谤补)」の名はクスノキの种小名「camphora」からとられたそう。

Ⓑ 第三高等中学校での記憶を木に託す

正门北东、自动车の入场ゲート付近のクスノキ(写真上)の根元には4つの石碑が残る。うち一つに刻まれるのは、1894年、第叁高等中学校から第叁高等学校への改组时の铭文。第叁高等学校の発足当初は一部の専门学部のみが置かれたので、他の専门学部の学生は别の高等学校に移らざるを得なかった。石碑には、京都を去る学生たちの师友の别れの感慨と哀切が缀られている。「分袂式」では、石碑とともにクスノキの若木を植树。当时は时计台近くの别の场所にあり、1945年に现在の场所に移転。このクスノキが初代のものかどうかは定かではない。

クスノキと记念碑
石碑の文字は経年劣化で铭文が削れており、判别不能なものが多い

木に埋もれた石碑

旧建筑学教室前のクスノキ

 

多くの记念树と记念碑か?现存する旧建筑学教室本馆の前、「第一回卒业生记(以下は埋もれて読み取れす?)」と书かれた石碑の隣にクスノキか?育つ。(写真左)1923年の设置と推定される。当初の予想以上に树木か?成长し、石碑の下部か?根に埋まる。総合研究10号馆の北西にも、クスノキの干と根に埋もれた石碑か?残る。

総合研究10号馆北西のクスノキ
総合研究10号馆北西の石碑には、「原子核工学教室创设十」の文字が読み取れる。下部は埋もれて読み取れない。原子核工学教室の発足10周年にあたる1967年の设置と推定される

杉山先生のひとこと

クスノキといえば、『日本书纪』にも登场する树木。〈クスノキは船に用いよ〉とあり、実际クスノキは加工しやすく、材内に「樟脳」を含むため耐久性に优れます。
当时からそうした特性が理解されていたことが窥えます。


Ⓔ 京都とのゆかりの深いカツラ

吉田南构内正门から望む吉田南総合馆

吉田南构内の正门から吉田南総合馆に至るフ?ロムナート?にはカツラか?并ふ?。选は?れた理由は不明た?か?、カツラの叶といえは?、形のよく似たアオイの叶とともに、京都叁大祭の一つ、葵祭の装饰に使われる。あまり知られてはいないか?、京都大学には1949年顷に、アオイの叶を模した大学マークか?存在し、襟章にも使われていた。発案者は法学部の学生。本人への闻き取り调査の资料には、「太平洋戦争て?中断されていた葵祭の復活の気运か?高まっており、京都のイメーシ?ともひ?ったりて?ある」との考案理由か?记されている。

カツラの叶
叶は丸いハートのような形。秋になると黄色く黄叶し、甘い香りを放つ

フタハ?アオイの叶
暗い林床に生息する草木。茎は林床に这うように伸びる

施设?职员绍介

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