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京都大学広报誌『红萠』

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2018年春号

特集

おそれずに、苦手科目に飞びこんでみよう

大学进学时に、どの学部にすすむのかは、大学生活はもちろんのこと、卒业后の进路にもおおいに関係する。「ロボットがつくりたいから工学部」、「読书が好きだから文学部」、「数学は好きだけど、理科が苦手だから経済学部」など、自身の兴味や関心、好奇心のおもむくままに选択できればよいけれど、その前にたちはだかるのが苦手意识と受験の壁。「数学の点数がとれないから、理系はあきらめよう」などと言いわけして、みずからの选択肢を手ばなしていないだろうか。理解につまづいたり、テストで失败をした结果、「苦手だ」と身构えてやる気が起こらなかったりして、科目との距离が远くなってゆく。そうして、选択肢の一つひとつがぼんやりと消えてゆく

しかし、だれかが「苦手」とする科目には、反対にそれを「得意」とする人もいる。その世界にどっぷりとつかって楽しんでいる研究者たちもいる。研究者たちを何十年も、その世界にひきこみつづけるおもしろさがきっとあるはずだ。私たちは好きにならずにはいられない「瞬间」を経験していないだけかもしれない。

 それはまるで、カードの表面だけを见ているようなもの。多くの高校生たちが「苦手」と决めつけて毛嫌いする科目にスポットをあて、その分野で活跃する研究者をたずねた。みずからの研究の楽しさをいきいきと语る研究者の话から、「苦手科目」のおもしろさが见えてくる。めくったカードの里侧には、刺激的な世界が拡がっているかもしれない。

 科目の「难所」から、学びの本质にせまる

高等学校で学ぶ教科は、国语、地理歴史、公民、数学、理科、保健体育、芸术、外国语、家庭、情报の10教科。なかでも、とくに「苦手だ」という声の多い、5教科5科目をとりあげ、その声を率直に教员にぶつけてみた

※各カードをクリックするとそれぞれの教科に移动します。

数学のカード 物理のカード 英语のカード 古典のカード 伦理のカード

 数学

ナビゲーター : 坂上贵之教授(理学研究科)

受験の数学は基础トレーニング

こうした技术はいつでもつかえるものですし、これらをとおして身につける「数学的な考え方」はみなさんの基础能力として见えないところで役だつはずです。また、「受験科目」の数学をスポーツで例えると、どのくらい早く走れるのか、动体视力はどうなのかといった〈基础体力〉を见きわめるテストとみることもできます。大学や学部にはそれぞれに、试合にエントリーできる标準记録(=大学での问题を処理するために求めている基础能力)があります。それをクリアしているかどうかが试験で问われているのです

微分、積分!これができなきゃ宇宙の真理にはたどりつけないノダ!!

私たち数学者ですら、ゴールははるか远く

数学は问题が解ければ、それで终わりではありません。一つの问题の解决は新しい问题を生みます。というのも、その问题とは、対象の重要な要素にしぼって、数学的に表现したものだからです。数式一つで、その対象のすべてを表现することはめったにありません。目的地をめざして、いろいろな要素をつけくわえながら、すこしずつ前にすすんでいきます。ですから、一つの问题が解けても満足することはありませんし、この挑戦は、ほんとうに「わかった」と思えるまでおそらくつづくのでしょう。その意味では、数学を考えるというのは発见と惊きの连続なのかもしれません。みなさんも奥深い「数学の世界」に足を踏み入れてみませんか

ここが無限に楽しめるというテーマパークか

 物理

ナビゲーター : 常见俊直讲师(理学研究科)

物理好きの轮のなかに飞びこんでみましょう

たしかに物理には、「なめらか(摩擦が0)」、「静かに(初速が0)」など、ことばの概念が日常的につかうことばの感覚とは异なるのです。たとえば、风邪をひいて、いつもより体温が高いことを「热がある」と言いますが、物理学の视点からいえば、「人间、だれでも热をもっとるがな」とつっこみたくなる。(笑)絶対零度でないかぎり、どんな物体も「热がある」といえるのです。ちまたで「エネルギーを节约しよう」とよく闻きますが、エネルギー保存则からすれば、エネルギーに「节约」する余地はなく、「エントロピーのむだな増大を抑えましょう」が正しい……と语りはじめると、「理屈っぽくてむずかしい」とそっぽを向かれてしまうかな。(笑)

でも、ものはためし。毛嫌いせずに物理を好きな人たちの会话に闻き耳をたててみてください。物理的な思考回路は、见惯れた日常の风景の见方をガラリと変える力があります。金属製のコテを鉄板の上に长时间置きっぱなしにすると、持ち手の部分まで热くなって、「あっちっち……」となることがあります。物理を学ぶ学生たちとお好み焼きを食べに行くと、その光景を见て、みんないっせいに、「热伝导率だ!」と口にするんです。(笑)

エントロピーの増大を抑えなさい!!

 英语

ナビゲーター : 桂山康司教授(国际高等教育院)

ことばの本质は「リズム」である!

英语は、强弱でアクセントをつけるストレス?リズムの言语です。ストレス部分をひときわ强くはっきりと発音するのが特徴です。それ以外は弱くあいまいに発音するので、音がくっついたり、省略されたりするのです。英语のネイティブ?スピーカーの话す日本语がたどたどしく闻こえるのは、英语のリズムに日本语の音をのせているからです。いっぽう、日本语は一つひとつの音をていねいに発音し、音の高低で抑扬をつけます。だから、そのリズムで英语を话すと、母音が多くなり、カタコトになるのですね。

ありがとうございますを「アザーッス」って言うでしょ?

英诗の朗読がいちばんの近道です

音楽やダンスなど、リズミカルなものが楽しげなように、ことばの勉强も、くふうしだいで、もっと楽しめるはずです。文法や単语の意味にとらわれず、外国语の音の楽しさ、リズム感に惯れることからはじめましょう。おすすめは英诗。意味がわからなくても、リズムで覚えられます。高校教育でも、英诗の朗読を取り入れれば、英语への苦手意识は薄まるはずだと期待しています。(笑)

ラップとかやるといいかもね!!

 古典

ナビゲーター : 金光桂子教授(文学研究科)

うつろう世の中と、それでも変わらない人间の姿

古文を読むとき、现代の社会や暮らしとの「违い」に注目すれば、私たちがいま生きているこの时代を相対化して见ることができます。大きく时代を隔てても、たいして変わらない人间の心の动きや行动、ふるまいに注目して、「人间はもともとこういうものなんだ」と纳得することで、自分の悩みをなぐさめたり、未来を考える材料になります。

人文学を学ぶ究极の目的は、人间を考えること。むかしの人の文章にふれることは、异国の文化にふれることと同じで、人间の多様性と普遍性を実感させてくれます。

紫式部ちゃんそれわかるわあー

まずは声に出して読みあげてみませんか

古文に兴味をもったきっかけは『源氏物语』を漫画化した『あさきゆめみし』。多様な性格の女性がいるのがおもしろくて、中学生のころに原文を手にとりました。古文の文法はもちろん、単语の意味も知りませんでしたが、声に出して読んでみると、文章のリズムが心地よくて、なぜか気分がよくなる。そうして、古文にのめり込んでしまいました。意味をきちんと読みとくには単语や文法の知识は必须ですが、古典に抵抗のある人は、だまされたと思って、まずはいちど声に出して読んでみませんか。

声に出すと古典はステキ!!

 伦理

ナビゲーター : マルク=アンリ?デロッシュ准教授(総合生存学馆)

过去の哲学は、现在の私たちを映す镜

哲学や思想を古い时代の思想家たちがのこした「説教」のようなものと考えてはいませんか。彼らが生きていたその时代、人びとはなにをめざしていたのだろうかと想像してみてください。古くから残る宗教の教典や、思想家の残した文献は、多くの人间の成功と失败の蓄积です。镜がなければ、自分の颜を见ることができないように、过去の文献を见ることで、私たちがこれからなにをすべきかを考えることができます。

正しい选択をするには、长期的な観点でものごとを考えることが必要です。何百年、何千年と残りつづけたテクストだからこそ、何百年、何千年先を考える础となるのです。

朝、鏡をのぞくと、そこには僕ではなくニーチェが映っていた

东洋の思想は、体があってこそ

私の専门は仏教学です。东洋思想や仏教がおもしろいのは、心と体の全体で考える点。头で考えるだけではなく、体をつかって修行することも同じくらい重视しています。それぞれの「生き方」とつながっているのです。武道や茶道、华道などは、そうした思想を体感できます。智恵や思想を理解するのではなく、「身につける」ことができるのです。

茶道のイラスト


研究者に闻きました「その学问、どこが魅力?」

その答えには、学问のおもしろさのみならず、身のまわりの出来ごとやものごとを新たな视点で见つめるヒントがひそんでいた

※各カードをクリックするとそれぞれの教科に移动します。

数学

なんでも研究の対象にしうるのが数学です

坂上贵之教授(理学研究科)

坂上貴之教授の写真

一见、まったく関係のないように见える二つの事がらを「数学」のコトバで书いてみると、思いもよらない共通点がうかびあがることがあります。たとえば、私は「水の流れ」に関する数学的研究をしていますが、飞行机の翼まわりの流れと微生物の水中での运动が、高校で习う「复素数」のコトバで书けたりします。このように、异なる対象に「数学」という横串をとおすことで、共通点がクリアに见えたり、新しい侧面を発见できたりする。ふだん目にするものすべてにその発见のチャンスがあるのです。

つまり、身のまわりのふしぎはなんでも数学になりうるということです。温暖化や少子化など、人类の生存に関わる地球规模の复雑な课题、はたまた、昆虫はなぜ、どんな风の中でも飞びたてて、しかも、まちがっても落ちないのかというような素朴な疑问にも、数学のコトバで、その答えを探ることができます。それを楽しめるかどうかは、本人の心意気しだいです。

数学は时间スケールの大きな学问でもあります。実际、私が研究している方程式は250年以上も前につくられたもので、その解がいつもあるのかないのかまだわかっていません。ですから、100年后の数学の新発见は、现在はほんのみぢかな疑问のなかにひっそりと隠されていて、数学の问题としての形をまだなしていないだけかもしれません。学生のみなさんには、いろいろなことに兴味をもち、それを见つける大きな视点を身につけてほしいですね。

ヒント
たとえば、滝を见たとき、ある人は「水が落ちる」という物理现象に兴味をもったり、落下の力で水车を回せると思ったり、美しい絵として描きたいと思ったりします。対象をどういう方法でとらえれば、自分にとっていちばんしっくりくるのかと考えると、みずからの进むべき道がわかります。私は、数学的な见方をとおして理解すれば、いちばんすっきりと「わかった」気になるタイプだったようです。受験で得意な分野だけでなく、自分が兴味あるものに、どう感じるか、どう理解したいか、どう表现したいかをすなおに考えてみてください。おのずと自分が文系か理系かがわかるのではないでしょうか。そうして、「なぜ?」という现象の科学的な侧面に兴味をもったなら、まずはその世界の入口に立つしかない。そのためにはやはり、受験のために理科や数学を勉强しなければならないということです。

滝を見て考えているイラスト

さかじょう?たかし
1971年に大阪府に生まれる。京都大学大学院理学研究科数学?数理解析専攻博士课程を中退。名古屋大学大学院多元数理科学研究科助手、1999年に京都大学博士(理学)、北海道大学大学院理学研究院准教授?教授などをへて、2013年から现职。

物理

物理でわかっていることは世界のたった1%

常见俊直讲师(理学研究科)

常見俊直講師の写真

世界を客観的に、厳密に见るのが物理学。たとえば、「氷が解ける」という现象を、「氷が解けたら春になる」と情绪で捉えるのではなく、「氷は解けたら水になる」と考えるのが物理です。

「物理の先生なら、あらゆるものを数式で理解できる」と思われることがありますが、落ち叶がひらひらと落ちる运动一つをとっても、正确に记述するのはとてもむずかしい。19世纪后半には、「物理学は完成し、研究の余地はない」と言われていたようですが、それから20世纪はじめに相対性理论と量子力学が発表されました。

19世纪の终わりに発见された原子は、「分割できない最小単位」とされていましたが、20世纪初头に电子や阳子といった素粒子が発见された。新しい発见が増えれば、未知のことがさらに増えるのです。いま、物理学でわかっていることは、おそらく地球上、そして宇宙での现象の1%にも満たないのではないでしょうか。

光の三原色の赤、緑、青

小学校、中学校、高等学校などに出前授业を行なう机会の多い常见讲师。「光には3つの色があり、3原色の赤、緑、青を重ねると白になることは、多くの方が知っています。けれども、この现象を実际に见たことのある人は少ないでしょう。小中高生むけの授业では、3原色投影装置(写真)で実际に自分の眼で现象を见て、3原色を体験してもらいます」。

ヒント
数式や物理学のことばに抵抗感を示す学生は少なくありませんが、実験をすれば、目を辉かせてのめり込む学生が多いのも事実です。理学部だからといって、みずから计算式を解く必要はありません。インターネットの検索窓に文章や数式で质问をすると、回答を得ることができるシステムなどがあって、大学レベルの数学も解いてくれます。だからこそ、数式を「覚える」よりも、「理解する」ことがだいじ。「计算が得意」だから理系の学部にすすもうと考えている人は、自分がなにに兴味があるのか、问いかけてみてください。数学そのものに兴味があるなら数学を学べる理学部、ものづくりに兴味があるなら工学部が向いているかもしれませんね。

僕にも発見のチャンスが

つねみ?としなお
1976年に山口県に生まれる。京都大学理学部を卒业、东京大学大学院理学系研究科博士课程を修了。大阪大学核物理研究センター教务补佐员、京都大学大学院理学研究科研究员をへて、2012年から现职。

英语

ことばを〈生きたもの〉として感じてほしい

桂山康司教授(国际高等教育院)

桂山康司教授の写真

私の専门は「英诗」です。「诗は舌の快楽である」ともいわれるように、ことばの「リズム」という本质を美しく昇华したものです。しかも、古い诗の表现を引用したり、あるいはまったく新しい表现をつくりだしたりと、诗はあらゆる方法でことばの表现の可能性を追求しつづけています。音の楽しさを味わえると同时に、ことばの働きの奥深さも理解できる、とても赘沢な学问です。

母语ではない言语は直観的には理解できませんから、论理を駆使して解釈する必要があります。でも、ことばを理解するには、文脉や话し手の意図など、论理を超えた部分を感じとる感覚も重要です。まずは、理屈で彻底的に突きつめて、そして最后に「跳ぶ」のです。作家の人生や価値観が集约された世界にたどり着くことで、人间は感动するのです。その场所が唯一の正解だとはかぎりません。诗はあいまいで、多様な解釈を许す。それは、「人生のあいまいさ」にもつうじているようで、とても魅力的です。

英语を堪能している学生のイラスト

自然科学の手法にならい、人文科学も细部まで「分析」できるようになりました。その见返りに、総合的にとらえる视点が欠けてしまいがち。文法は、言语を分析する一つの方法にすぎません。「バット」は、「しかし」などの意味をもつ等位接続词ですが、ときには前置词や副词にもなります。「バット」が特别なのではなく、「バット」のふるまいと品词の分け方とがずれてしまっているだけです。「ある语のあとに、心理的にこれまでとは违う要素が出てくるときに〈バット〉をつかう」のだと、ゆるやかなくくりでとらえれば、どの用法もおかしくはないのです。枠をはみ出して、音楽鑑赏をする気分でゆったりと心を解放すれば、いきいきと踊ることばの姿をとらえることができるかも。

ヒント
「いいな」と思うことを追究すると、そこに将来につながるヒントがあるはずです。私は高校生のころ、汉诗の読み下しのリズムが好きでした。それがいまの英诗の研究につながっているのかもしれません。ことばによって表されたものを読んだり书いたりすることが好きな人は、ことばの研究にむいているかも。ことばに「感动」できることは、りっぱな个性だと思います。

かつらやま?こうじ
1959年に大阪府岸和田市に生まれる。京都大学大学院文学研究科修士课程を修了。滋贺大学経済学部讲师、京都大学教养部助教授、同大学院人间?环境学研究科准教授などをへて、2015年から现职。

古典

「うつくし」、「うるわし」、「なつかし」。あの人はどのタイプ?

金光桂子教授(文学研究科)

金光桂子教授の写真

古典のことばをとおして感じるのは、いにしえ人の感受性のこまやかさ。平安时代と现代のことばとを比较すると、名词の数は増えてはいますが、形容词?形容动词はかなり减っています。现代人なら、「うつくしい」と一语で表现してしまうようなことでも、どのようにうつくしいのかによって、「うつくし」や「うるわし」などの形容词をたくみにつかいわけるのです。

「うるわし」は「整った端正なうつくしさ」を意味します。「整ったうつくしさ」とはなにかを理解しないまま、受験のためにただ暗记する人は多いかもしれませんね。どんな女性を「うるわし」と形容しているのか、その女性はほかにどんなことばで形容されているかを调べてみると、ことばの理解がだんだんと深まります。

「うるわし」は「なつかし」ともよく比较されます。光源氏の母の桐壶は「なつかし」、中国の唐の皇妃だった杨贵妃は「うるわし」。「なつかし」はいまのことばでいう「癒し系」の女性や、亲しみやすさを感じさせる人につかわれることが多いのです。みぢかな友だちや芸能人を「うるわし」、「なつかし」に分けてみてください。実生活に结びつけて考えると、おのずと违いがわかるようになりますよ。

うるわしの楊貴妃、なつかしの同級生女子

ヒント
将来の目标や自分の个性を「はやく见つけなければ」と、焦っていませんか。そうかんたんに见つかるものではないし、たとえ见つからなくても焦る必要なんてないんです。「平凡なサラリーマンなんてつまらない」という人もいますが、それはそれでいいじゃないですか。兴味のあることがあれば、やってみればいいし、梦中になれるものが见つからないなら、自分に与えられたことにしっかりと取りくめばいい。どちらの方法でも道は拓けるはず。がむしゃらに取りくんだ経験も悩んだ日々も、あなたのだいじな一歩ですよ。

かなみつ?けいこ
1973年に神戸市に生まれる。京都大学大学院文学研究科博士后期过程を修了。大阪市立大学大学院文学研究科助手、京都大学大学院文学研究科准教授をへて、2017年から现职。

伦理

「幸せとはなにか」。あなたは答えられますか

マルク=アンリ?デロッシュ准教授(総合生存学馆)

マルク=アンリ?デロッシュ准教授の写真

高校の「伦理」で学ぶ内容は、人文科学?社会科学の領域にまたがっています。西洋哲学における、哲学(philosophia)の語源は、「知恵(sophia)への愛(philo-)」。知恵をつけて、善く生きるための学問でした。そうはいっても、人は一人で生きるのではないから、そこには必然的に社会が存在するのですね。

「善く生きる」には「自覚」が重要です。「自分になる」、「人间になる」自覚とは、自分の感情や考えをコントロールする心の成长を意味します。

自覚には、「内観」の訓練が必要です。内観というのは、自分の意識や状態、考え方のパターンやそのまちがいを意識することです。内観には注意力が必要ですが、現代社会は情報が氾濫していて、注意力が散漫になりがち。スマートフォンなどの通信機器も普及して、完全に独りになる時間が少ない。「自覚」の習慣がなくなってしまうのです。自分の感情や考えを管理できない人が増えると、「伦理が守られていない」という声が聞こえてくる社会になります。

だれもが「幸せになりたい」と思っています。では、「幸せ」とはなんでしょう。哲学は、みずからのありかたこそが重要だと教えてくれます。幸せは外から得られるものではなく、「自分のありよう」からもたらされるのだと実感できれば、人生も価値観も違ったものになります。若いうちにこれを知ると、自分や周囲のできごとの意味?意義を考えて、より柔軟に生きられたり、まわりの人の幸せをもはっきりと考えたりできます。哲学や伦理は「むずかしく考える」ことではなく、善く生きるために、ものごとを明らかにする学問です。哲学は「役にたたない」どころか、あらゆることを善くする役にたつのですよ。

おすすめの入门书

マルクス?アウレリウス『自省録』

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第16代ローマ皇帝が自分のために书いたとされる哲学的思索の记録。

『ダンマパダ(真理のことば)』

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仏教の开祖、仏陀(釈迦牟尼)のことばを诗のかたちにまとめたもの。现存最古の経典といわれている。

Marc-Henri DEROCHE
1979年にフランスに生まれる。2011年に贰笔贬贰(パリ)にて东洋学博士号を取得。京都大学白眉センター特定助教をへて现职。

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